数あるゴールドラッシュの中で最も有名なカリフォルニアのゴールドラッシュ。
現在ではアメリカ合衆国の中で最も人口の多いカリフォルニア州ですが、ゴールドラッシュ当時は人口が非常に少ない町で州になっていませんでした。
そんなカリフォルニアで金が見つかったと知ると、アメリカ国内だけではなく世界中から金を掘り当て一攫千金を狙う人、そこで商売をしようとする人々が大勢集まり人口が爆発的に増えていき、1850年に31番目の州となりました。
生活するための施設の増設、移動手段である鉄道が敷かれ、蒸気船の運航が始まるなど、カリフォルニアはあっという間に発展していきます。
今回は、そのきっかけとなったカリフォルニアゴールドラッシュをご紹介します。
目次
カリフォルニアゴールドラッシュの始まりは?
カリフォルニアで起きたゴールドラッシュは1848年1月24日、コロマという土地にある製材所で働いていたジェームズ・マーシャルという大工が、辺りを流れるアメリカン川で金を発見したことから始まります。
発見当時は雇い主である仲間と秘密を誓っていましたが、この話は次第に噂となり全米に広まっていきます。
1848年8月19日にはニューヨーク・ヘラルド紙がアメリカ東海岸に報道し、同年12月5日に当時のアメリカ合衆国大統領のジェームズ・ポーク大統領が金が発見されたことを認めます。
ちなみに、初めて見つかった金は純度96%の23金で、非常に高純度な金でした。
なぜ、世界に広まった?1年で人口が4倍以上に!
新聞での報道や当時の大統領が金発見を認める発言をしたことによって、カルフォルニアで金が見つかったことが世界中に知れ渡ります。
それによりハワイ、メキシコ、ペルー、オーストラリア、中国、ヨーロッパ、ニュージーランドなどからカリフォルニアの地へ一攫千金を夢見てくる人もいれば、商人、鍛冶職人、ホテル、銀行、弁護士、飲食など、商売をしようとする人々も大勢集まってきます。
金が見つかった1848年の人口は2万人ほどでした。
しかし、人々が集まってきた1年後の1849年には人口が8万人ほど増加し、この年に集まってきた人々のことを『(49年組)フォーティ・ナイナーズ』と呼ばれます。
そのカリフォルニアの中でも拠点となったサンフランシスコの人口は1848年の1,000人から1849年には25,000人に増加。
ゴールドラッシュ最盛期の1852年にはサンフランシスコだけで36,000人、カリフォルニア州全体では25万人ほどまで増え、急速に発展していくことになります。
余談ですが、金の採掘者の中に日本人であるジョン万次郎もいました。
ジョン万次郎は漁に出ていて嵐に合い、難破したところをアメリカの捕鯨船に救助されたというのは有名な話ですが、日本に帰る前に帰国資金を得るため数か月間だけ金採掘をする職に就き、資金稼ぎをして無事帰国することができたようです。
どのようなルートで渡ってきた?
世界中の人々が集まってきたゴールドラッシュですが、どうやって来たのでしょうか?
1.北アメリカ大陸を横断する陸路ルート
2.船で南アメリカのホーン岬を回るルート
3.船で中央アメリカに行き、陸路で太平洋側へ抜け、別の船を使うルート
の3つがあります。
移動ルートは陸路と海路で半々くらいでした。
1849年にカリフォルニアに来ることができたのは約8万人で、その中の5万~6万人ほどがアメリカ人で残りは海外の人々です。
1855年までには約30万人の人々がカリフォルニアに到着しています。
多くの人々がカリフォルニアを目指して移動してきましたが、当時の旅は危険で、移動期間(3カ月~1年)が長く薬などもないことから病気になる人もいれば、嵐によって船が破損して運航できなくなることもあり、到着する前に亡くなってしまう人も多かったようで、困難な冒険を伴っていました。
実は移住してきたほとんどが中国人であった
カリフォルニアに移住してきた他国の人々の中でも中国人が多くの割合を占めていました。
1849年、50年は数百人規模だったのが、1852年には2万人以上の中国人がサンフランシスコに到着し、1850年代の中国からの移住者数は4万人ほどになりました。
移住してきた中国人は広東付近の人々が多かったようです。
これは、広東付近は太平洋を挟んだ反対側にカリフォルニアがあり、船で一直線にサンフランシスコに渡ることができたからです。
移住を歓迎されていた中国人もやがて・・・
金が発見された当初はまだまだ地表近くに金があったため、中国人移住者に対しても比較的寛容で、金を採掘する人もいれば、大工や飲食店、農業などで活躍することになります。
しかし、地表近くの金が少なくなると、中国人への風当たりが強くなり、1852年には大規模な反中国人暴動が起こります。
人種差別を受けた中国人労働者は、白人がすてた鉱山で働くか、白人が経営する鉱山で働くかの2択を迫られます。
また、アメリカ市民権を与えられず、白人との結婚は禁止され、法廷での証言権も与えらず、月3ドル~4ドル(現在の約90ドル~120ドル)の鉱夫税と6ドル(現在の約180ドル)の人頭税まで徴収されるなど、人権というものがありませんでした。
終わりを迎えたゴールドラッシュ
砂金や地表近くの金が採れなくなった後は金山での採掘が始まります。
金山は砂金のように小さいものではなく、大きいものが採れることから量が増えました
その結果、希少であった金価格が暴落し、資本家たちは金山から手を引き、次々と金山は閉鎖され、1848年から始まったゴールドラッシュは1855年に終わりを迎えます。
その後もカリフォルニアは、海路での拠点となったサンフランシスコは港の発展により交易都市になり、初めての大陸横断鉄道が開通するなど発展していきます。
最後に
金の採掘量が増えたことによって価格が暴落しカリフォルニアのゴールドラッシュは終わりを迎えましたが、現在もカリフォルニアの地にはまだ金が眠っていると言われています。
カリフォルニアのゴールドラッシュで、もちろんお金儲けをして幸せを掴んだ人はいます。
その一方で、中国人やネイティブアメリカン、ラテンアメリカの人々への人種差別もあり、多くの命が奪われたという悲しい歴史でもあります。
ただ、このような背景があったからこそ急速に街が発展していき、現在ではアメリカで最も人口の多い大都市になったのではないでしょうか。