ジュエリーの長い歴史(誕生)
以前の記事ではアクセサリーとジュエリーの違いについて説明しましたが、今回はジュエリーの歴史についてご紹介したいと思います。
どのような歴史を経てジュエリーが誕生し、文化として定着していったのか。そしてジュエリーの意外な一面についてもご紹介いたします。
ちょっと難しいお話になりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。今まで何気なく使っていたジュエリーへの見方が変わるかもしれません。
古代身に着けられていた装身具
まずはジュエリーの原点ともいえる古代の装身具としての歴史をご紹介いたします。
皆さん、四大文明って聞いたことありますか?そうです、中学生の頃に歴史の授業で習った、エジプト、メソポタミア、インド、中国が起源の古代文明のことです。四大文明は括りが曖昧なため、一応仮説とされていますが、文明はこの4つの地域から生まれたとされております。
文化文明が形成される過程で、組織が生まれていきました。その組織内に、現代の会社で例えると、社長、部長、課長…新入社員といった具合に上下関係が発生します。
諸説ありますが、当時はその区分けをするために装身具を付けたとされております。社長は10ctのダイヤモンド、部長は5ctのダイヤモンド、課長は1ctのダイヤモンド・・・このように区分けされていたと想像すると楽しいですよね。
現代社会でも、ジュエリーはひとつのステータスとされていますので、良いものをつけてほかの人と違いを見せたいという欲求に通ずるものがあるのかもしれません。
歴史上もっとも古いと言われるネックレス
そのジュエリーの中でも最も古いとされるのは古代エジプトのネックレスと言われております。
元々は植物や貝殻、動物の骨などを連ねた形状だったようですが、文化の発展とともに、宝石を用いられるようになった、とされております。
また先述した身分を区分する意味合い以外に、病気や災害などに対するお守りとしての役目があったとも言われております。
ネックレスは現代も老若男女問わず大人気アイテムですよね。つまり紀元前3,000年以降、現代までの5,000年間、文明の発展とともに嗜まれてきたのですね・・・凄いことです。
18世紀のイギリス
装身具としてのジュエリーのお話を進めてきましたが、ここからは現代と同様に嗜好品へと変化していったジュエリーのお話をさせていただきます。
イギリスをとりあげますと、産業革命が大きなターニングポイントになったと言われております。
産業革命とは主に様々な技術革新によって産業が発展し、それとともに社会構造そのものが大きく変革していったことを指します。蒸気機関が有名ですね。その産業革命でジュエリー制作技術が向上した…のではなく、産業革命の恩恵である社会構造の変革によってジュエリーは現在の嗜好品へと変化していきました。
先ほど触れましたが、蒸気機関によって主に鉄道、船、貿易などの交通インフラが発達しました。それに伴い、旅行代理店や保険業などの業種も生まれます。その結果、貴族以外の平民に富が築かれました。それが社会構造の変革です。
これらの背景によってジュエリーは、身分を区分する意味合いだったものから、平民の成功者も手にすることができる嗜好品へと変化しました。
余談ですが、100年以上前のジュエリーの9割以上がイギリス製と言われております。
なぜなら産業革命はイギリスから周辺諸国へと広がっていったため100年近くの技術革新の差があった点と、その後の大戦の影響により諸国にジュエリーを生産する余裕がなかったためと言われております。
ジュエリー文化、日本にはなかった?
日本はジュエリー市場が盛んな国として有名です。現在では年間売上が1兆円を凌ぐと言われており、海外の方にも日本ブランドや日本産のジュエリーが幅広く嗜まれております。
今やジュエリー大国となった日本ですが、歴史を紐解いていくと、意外な事実が判明します。
縄文時代から古墳時代後期にかけては首飾り、腕輪、耳飾り、かんざしなどの装身具が出土しておりますが、その後、明治時代までかんざしや櫛を除く装飾品は姿を消してしまうのです。
一説では、日本は刀文化だったため鍛冶職人に人材が流出してしまったためとされております。
ただその後の明治維新が大きなターニングポイントとなります。それは洋装文化の流入とともにジュエリー文化の流入があったためです。
庶民の着物文化から洋装文化への切り替えで、すんなりと日本にはジュエリー文化が定着することとなりました。
『散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする』
こんな有名な一節がありますが、その言葉通り、文明開化とともにジュエリー文化も発展していったのです。
ちなみに明治維新以降、多くの鍛冶職人はジュエリー加工職人へと転職したようです。刀を持つことを禁止する廃刀令が発布され、鍛冶職人は職を失ってしまったことが背景にあるようです。ジュエリー文化は後発でありながら、先述した通り世界のジュエリー市場をリードする立場となっている日本は、このような高い技術力の人々によって支えられてきたのかもしれません。
最後に
ジュエリーの歴史が装身具から始まり、5000年経過した現代でもカタチを変え人々を魅了し続けられているってことは、これからの時代も人類とともにジュエリーは歩んでいき更にカタチを変えるかもしれませんね。
また、今皆さんが身に着けているジュエリーもイギリスの産業革命が起こらなかったら、もしかするとカタチが変わっていたって思うと面白いかもしれません。